関東大震災から100年

関東大震災から100年のアイキャッチ画像。

本年は、甚大な被害を及ぼした関東大震災から、ちょうど100年に当たります。

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10万人を超える方が亡くなった

1923年9月1日の正午ごろに起きた、最大震度7の烈震で多くの家屋が倒壊。さらにお昼時だったため、調理中だった家庭や厨房などから火があがり、街の至る所で火災が同時多発的に発生。建物から追い出された避難民は、家財道具を持ち出し、道路や公園、広場にあふれかえりました。迫りくる火災は、ついに避難民の家財道具へ燃え移り、延焼防止の役割を果たしていた道路や広場、橋を超えて、またたくまに街全体へと広がっていったのです。この関東大震災で、10万人以上が亡くなったと言われています。その多くの方が、火災による焼死、また火災から逃れようと河川に飛び込んで溺死されたと分析されています。

当時の様子は、荒川出身の作家、吉村昭氏の著書「関東大震災」に詳しく描かれています。

いつ起きてもおかしく無い首都直下地震

現在、首都圏では、大規模な直下地震がいつ起きてもおかしくない、と言われています。

政府は、その確率を「30年以内に70%」と表現しています。つまり高い確率で今日起きてもおかしくないと言うことです。また内閣府の被害想定では、「建物倒壊等」による死者数約7,000人に対し、「火災」は約16,000人としています。つまり関東大震災のように、首都直下地震で亡くなる原因の約7割が「火災」になるという想定なのです。

個人レベルでできる事

いざ地震が起きた際、個々人でできる対策としては、揺れが収まった後、身の安全を確保した上で、可能な限り火元を処理すること(ブレーカーを落とす、ガスの元栓を閉める、ストーブなどのコンセントを抜く、小規模の火災であれば、初期消火を行う。)です。ただ、それだけでは限界があります。

行政の延焼対策

街全体での対策としては、東京都を中心として、倒壊や火災、火災に伴う延焼が起こりやすい木造住宅や老朽化した住宅が密集した地域、いわゆる『木造密集地帯』(通称:木密地域)の対策を進めています。具体的には、家の改築時に燃えにくい素材を使用することに対しての補助や、延焼防止のための空間を確保する、などです。この木密地域は、足立、荒川地域にも多数存在しています。

「ここなら安全だ」がかえって惨事を招くことも

ただ、個人的に注意しなければならないと感じているのは、木密地域=危険、と安直に結び付けない事です。災害は、地震だけではありません。また、地震の後に発生する火災も、地域の連携によって食い止められるケースも多くあります。前述の吉村昭氏の著書「関東大震災」でも、地域住民の団結で火災から街を守った様子が克明に描かれています。逆に、多くの方が「ここなら安全だ」と思って避難民が押し寄せた、広い空き地であった「被服廠跡」では、身動きが取れなくなった避難民の群衆が旋風を伴う火災に巻き込まれ、約38,000人の方が亡くなりました。

大切なのは、日ごろから培われる地域での連携力

防災減災には、日ごろからの地域コミュニティとしての連携・取り組みが極めて重要です。いま、各地で行われている「お祭り」は、地域のコミュニティを強化する観点でも重要であると思っています。また、今週末を中心に、各地で防災訓練が行われています。地元の町会・自治会などで開催される折には、ぜひ参加をご検討ください。

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この記事を書いた人

岡本みつなりのアバター 岡本みつなり 衆議院議員

米ケロッグ経営大学院修了。ゴールドマン・サックスを経て、公明党衆議院議員(4期目、東京12区選出)。衆議院経済産業委員長。元外務大臣政務官。元財務副大臣。 東京29区(荒川区全域・足立区西部)総支部長。矢沢永吉さんの大ファン。

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